破壊された建築物を元のまま再建するということは、日本ではまず行われていない。ワルシャワの人々が復元にかけたこれはどの熱意からは、執念さえ感じられる。一体、どのような心情によるものなのだろうか。長年にわたって他国の支配を受けても、人々がポーランド人としての意識を忘れたことはなかった。ナチスによる破壊は徹底的で、文化の抹殺に等しいものだったが、ワルシャワ市民はそれを復元によって覆そうとしたのだ。ワルシャワの町並みは、繁栄を極めた往時をしのばせる、ポーランド全体のアイデンティティだったのである。
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復元作業が真っ先に、そしてとりわけ熱心に行なわれたのが、スタレーミャスト(旧市街)である。入り口のザムコヴォイ広場には、再建されたジグムント三世の像が立っている。ザムコヴォイ広場に面して建つ旧王宮は、フランス皇帝ナポレオン一世(在位一八〇四〜一四)がフランス元帥に任命したポニャトフスキ王の居城であり、現在は博物館になっている。旧市街の北側に建つ半円形のバルバカン門は、一五四八年に建造され、やはり再建された門である。復元の様子は、ワルシャワ歴史博物館に展示され、復元のもととなった資料や作業に携わった人々の情熱を今に伝えている。復元計画は、一九四九年には一応の完成をみるが、その後も作業は続けられ、一九六〇年代になっても市は絶えず拡張を続け人口も増大した。